ブッダの悟り
● ブッダの悟り
釈迦(しゃか)は多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られませんでした。
そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹の下で坐禅をして禅定に入ります。
その禅定がしだいに深化し、三昧の中で「三明」が顕れ、真理を悟ることが出来たと記されています。
これによって釈迦は悟った者(覚者)、すなわち「ブッダ(仏陀)」になったと、されます。
この悟りの境地を「涅槃(ねはん)」といい、それは「寂静(じゃくじょう)」であるとされる。煩悩が制御されているので、とらわれのない心の静けさがある、ということになります。
一切皆苦(全てのものは、みな思いどうりにはならない)無常に移ろい行く日々の中、自分の望むようには、生きることは難しく、時として、苦しみさえ伴う事実を、ブッダは悟ります。
「人生が苦である」ということは、ブッダの人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿であり、その実態が四苦八苦と言われるものです。
四苦とは、生を受けた瞬間から、誰もが逃れることの出来ない、生・老・病・死の4つです。
母胎に宿る瞬間より始まる苦悩、病むことから生じる苦悩、老いに至ることから生じる苦悩、そして、死に至る苦悩等、自分の力の及ばない苦悩、これに、
愛し合うものが別れてゆかねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)
憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)
求めても得られない、または得られないものを求めてしまう「求不得苦」(ぐふとくく)
最後に人間生存自身の苦を示す「五蘊盛苦」(ごうんじょうく)、または「五取蘊苦」(ごしゅうんく)
を加えて「八苦」と言います。
非常に大きな苦しみ、苦闘するさまを表す慣用句「四苦八苦」はここから来ています。